宗教と科学 2016 7 17

 イスラム教の基本は、つまり原点は、
宗教と政治と軍事の一致です。
 ムハンマド(マホメット)が活躍した時代も、中東は混乱していたのです。
宗教家であるムハンマドは、結局、軍事的な勝利によって、決着をつけたのです。
ムハンマドは、宗教家であると同時に、軍事的な英雄でした。
 そういうわけで、政教分離は、イスラム教の原点から外れています。
このような政教分離は、西欧的な思想に影響されたと思います。
 西欧的な考え方からすれば、
宗教と政治と軍事の一致は、古いように見えますが、
このような組み合わせが、国家の形態としては、最強になります。
 さらに、科学技術まで含めると、最も強い形式になるでしょう。
つまり、宗教と政治と軍事と科学が一致した形態です。
将来、こうした国家が世界のどこかに出現するかもしれません。
 さて、宗教と科学は、どうしても結びつかないと思うかもしれません。
しかし、それは、単に、宗教家が科学を理解できないように、
科学者が宗教を理解できないからです。
 将来は、宗教家であると同時に科学者でもある天才が出現します。
その時、宗教と科学は一致します。
アジアかアメリカか、どこかで出現します。

ムハンマド Muhammad 2005 9 18
 連日、ニュースで伝えられる「イラクの混乱」。
しかし、こうした混乱は、昔もあったのです。
 ムハンマド(マホメット)が活躍した時代も、混乱していたのです。
宗教家であるムハンマドは、結局、軍事的な勝利によって、決着をつけたのです。
ムハンマドは、宗教家であると同時に、軍事的な英雄でした。
 しかし、これが、ある意味で、中東に戦乱が多い原因になっているかもしれません。
イスラム教では、ムハンマドは、教祖ではなく、最後の預言者となっていますが、
こうした預言者の性格や性質が、その後のイスラム教に影響していると思います。
 もちろん、イスラム教自体は、平和な宗教です。
しかし、宗教というものは、教祖(預言者)の影響が出るものです。
弟子は、教祖の行動を模倣する傾向があります。
 さて、ムハンマド(マホメット)は、富の独占を批判し、審判の日が近いと説きました。
この教えは、貧民層などに、燎原の火のごとく広がっていきました。
 しかし、これは、当時のメッカにおいて、
支配階級であった裕福な商人たちからは、危険思想とみなされました。
 そこで、ムハンマドは、商人たちの迫害を逃れるために、
メディナへ移住したのです。
これが、622年の「ヒジュラ(聖遷)」です。
































































































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